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1984年と現代社会の問題-「言葉」とはなにか

投稿日:2019年6月24日 更新日:

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徳本です。

私がライターの仕事で、編集者として長く携わっていただいている方が居ます。

その方はメールの返信が丁寧で、ご本人のブログを見ると、「メールの文章には非常に気を遣っている」とのこと。

素っ気ない文章よりもあたたかみの感じられる文面のほうが、相手も好感を抱いてくれるのではないか、というのが理由らしいです。

好感を抱いている人間のひとりがここに居ます(笑)

まぁ、その人のブログでメールの文面が丁寧だった理由を知って、こちらも応募や返信時の文章に注意するようになったので、確実に良い影響は受けています。

メールやチャットなどは文字のやり取りで済むコミュニケーションツールですから、一方が打った言葉の意図が読み間違えられ、問題に繋がることも十分あり得ます。

だからこそ、メッセージはよく考えて送る必要がある。

人間は普段の会話でも言葉を使っていて、その場合でも時々お互いの意図が伝わらず、もどかしい思いをすることがありますが、会話時は相手の表情や仕草から言葉に込められた思いや、感情を推察することは可能です。

しかし例えばメッセージを送るとき、「省略された言葉」や「簡単に他の意味に置き換えられる言葉」を使ってしまったら、どうなるでしょう?

先に述べた「意図の読み間違い」が起こりやすくなってしまいます。

この「省略された言葉」や「簡単に他の意味に置き換えられる言葉」は、現代社会で多く聞く機会があり、なかには「世代差ゆえに意味のわからない言葉」もあります。

これらは様々な問題を引き起こす切っ掛けにもなり得る、私はそう考えています。

今回は「言葉」というものについて、私の考えを少し述べてみたいと思います。

ニュースピーク&オールドスピーク

イギリスの作家、ジョージ・オーウェルの書いた小説、『1984年』をご存知でしょうか?


この小説は1949年に出版された、ディストピア小説の代表格とも言える作品であり、後年多くの文学やドラマなどに多大な影響を与えました。

舞台は核戦争後の世界。主人公、ウィンストン・スミスの住む「オセアニア」と呼ばれる大陸では、思想や言語、結婚などの市民生活が政府によって管理・制限され、国民の行動は彼らによって常時監視されている状態にあります。

ウィンストンは政府の「真理省」で歴史記録の改ざんを行っていて、同じ省内には「言語の破壊」を目的とした「ニュースピーク」を流布する友人が居ます。

この「ニュースピーク」。国民がイデオロギーに基づいた思考以外は、思考できなくさせることを目的とし、劇中の政府によって定められたものです。

その文法と語彙は大きく簡略化されています。

ニュースピークの原理を端的に述べると、「略語を多用」し、それによって「容易に別の意味の言葉へ置き換えること」ができ、「思考の幅を狭める」というものです。

しかもこの「略語」。「勢いよく発音でき、略される前の意味を連想しにくくする」ために意識的に省略されているのですが、これって何かに似ていませんかね?

また劇中では「オールドスピーク」というものも出てきます。

こちらは劇中の政府によって「改造される前の言語」であり、彼らはこちらを廃して自分たちの作った「新言語」を流布しようとしています。

ここまで読んで、気付きましたか?

今の日本にも『1984年』のニュースピークほどではないにしても、「略語の多用」や「容易に別の意味へ置き換えられる言葉」が多く存在しているのです。


言葉がおかしくなると社会はどうなるのか

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もちろん、『1984年』はあくまで現実の「全体主義国家」を基にした架空の話です。

しかしこの小説が現代も「ディストピア小説の代表格」とされているのは、現実の状況を予言、あるいは鋭く風刺しているからこそ。

ナチスソ連中共などの全体主義国家では、言葉の言い換えや言語の改造が数多く行われました。

一方、日本では母国語に何故か「英語」が豊富に混ざり、世代によっては本来の意味が何なのかも全く分からない略語が存在し、政府が「戦闘」を「衝突」と言い換えるなどの現象も発生。

このように言葉がおかしくなると、やがては国民の思考の幅や、世代間の交流も狭まっていくのではないでしょうか。

では海外ではどうなのかというと、例えばアメリカにも英語の省略形はあります。しかしそれは、「Thanks God I'ts Friday(神よ、金曜日をありがとう)」を「TGIF」と略すように、大抵は頭文字です。

したがって日本語のようにバリエーションは多くありません。

ところが日本語だとそうではなく、省略語のバリエーションが豊富で、調べてみると「り」、「むずい」、「やさい」などの言葉が存在していることが分かりました。

これら省略言葉の意味はなにかというと、「り」は「了解」、「むずい」は「難しい」、「やさい」は「優しい」とのこと。

このように言葉を省略してしまえば、容易に別の意味へと置き換えられてしまいます。

また最近テレビでもよく聞く「マジ卍」のように、世代によっては意味が全く分からない言葉も。

これ「マジ」を「本気」、「卍」を「ヤバい」、つまり「凄い」。ようは「本当に凄い」という意味らしいです。

しかし私も調べてみて初めて意味が分かったように、世代や触れているツールの違いによっては、意味が全く相手に伝わらなくなります。

世代間で伝わらない言葉は世代が違う者同士の交流を妨げ、共同体における人々の繋がりを弱くすることになると思うのですが、どうでしょうか。


まとめ

言葉が崩壊すると、やがては国がおかしくなっていく。

少なくとも私は、言葉の崩壊に与するようなことはしたくありません。

かつてある作家は「ものを書く人間の現代喫緊の任務」について語りましたが、現代はこの言葉がより重い意味を持って、響いている時代だと思います。




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