徳本です。
私は、映画『スター・ウォーズ』シリーズのファンであり、Episode1からEpisode6までの“本来のトリロジー”すべてを鑑賞しています。
そして今回問題として取り挙げるのは、ディズニーが制作した“続3部作”についてです。
この続3部作、私はこの章の主人公の名前から取って“レイ3部作”と呼んでいますが、個人的によい印象を抱いていません。
というより、私は続3部作の1発目であるEpisode7を観た時点で、「面白くない」という感想を抱いた人間のひとりです。
今回はディズニーが制作した『スター・ウォーズ』の、“続3部作”に対する私の思いを書いていきます。
◆この記事の目次
『スター・ウォーズ』とは
『スター・ウォーズ』とは、アメリカの映画監督・ジョージ・ルーカス氏が製作総指揮を務め、ルーカスフィルムが製作した大作スペースオペラです。
1977年に公開された第1作は世界的な大ヒットを巻き起こし、1980年には続編の「帝国の逆襲」、1983年には完結編の「ジェダイの帰還」が公開されました。
この『スター・ウォーズ』シリーズは元々全9部作の構想があり、第1作目はその構想の4作目に該当する作品としてつくられました。
シリーズの4作目が最初の作品として公開されたのは、映画をシリーズ化するためには商業的成功を収める必要があり、そのためには「冒険活劇」要素の強かった4作目を最初に公開する必要があると判断されたことと、Episode1、2、3の構想は当時の映像技術では表現不可能だったことが理由です。
最初に公開された4作目はのちに「Episode4 新たなる希望」と副題がつけられ、これに続く1980年、81年に公開された2作品もそれぞれEpisode5、Episode6とナンバリングされ、シリーズ全体の最終章に該当する作品群(“旧3部作”)として扱われるようになります。
やがて時代は過ぎて映画業界の映像技術は進歩し、1990年代にはルーカス氏が構想したシリーズ前半の物語が製作できる環境が整います。
技術進歩を受けたルーカス氏は、1999年にファン待望の“始まりの物語”である、「Episode1 ファントム・メナス」を製作・公開。
続く2002年には「Episode2 クローンの攻撃」を、2005年には最終作である「Episode3 シスの復讐」を製作・公開しました。
『スター・ウォーズ』シリーズの“前半部”の物語群は、シリーズ全体の幕開けと動乱を描いた物語(“新3部作”)として扱われ、ルーカス氏はこれらを以てシリーズ完結を宣言し、全9部作の構想を“全6部作”へと修正して『スター・ウォーズ』シリーズは完結します。
全6部作完結後、ディズニーが『スター・ウォーズ』の権利を買い取る
全6部作の完結から7年後、2012年にディズニーがルーカスフィルムを買収し、『スター・ウォーズ』に関する権利を手にしました。
このルーカスフィルムのディズニーによる買収騒動の後、完結したはずの『スター・ウォーズ』シリーズは再始動し、2015年にはEpisode7として「フォースの覚醒」が公開されます。
続く2017年にはEpisode8の「最後のジェダイ」が公開され、2019年の12月には、“完結編”と称したEpisode9の「スカイウォーカーの夜明け」が公開されました。
ディズニーが制作したこれらの作品群は“続3部作”と呼ばれましたが、その内容は元々ルーカスが構想していた『スター・ウォーズ』Episode7、8、9の内容とは大きく異なるものでした。
ルーカス氏が構想していたEpisode7、8、9の内容は、Episode1で触れられた“ミディ=クロリアン”と呼ばれる全ての生物の体内に共生する知的微生物に関するものであり、ミクロな世界観を描く予定でした。
ジョージ・ルーカス版の『スター・ウォーズ Ep.7~9』ではミディ=クロリアンとマイクロバイオティックの世界が描かれるはずだった
私の推測ですが、おそらくルーカス氏が構想していたEpisode7、8、9では、完結したシリーズ世界が再び混乱に陥るというものではなく、あくまで作品世界の設定深堀りと、その設定に密接に関わる人々の動き、彼らのいる場所や世界を描く予定だったのではないでしょうか。
しかしディズニーがつくった“続3部作”の内容は、ルーカス氏の構想とは全く異なり、“旧3部作”で平和を取り戻したはずの銀河は、再び巨大な勢力に支配され、新しい主人公たちはレジスタンスとしてそれに抗うという、“旧3部作”と悪い意味でそっくりな内容になってしまっています。
ディズニー製作の“続3部作”のなにが問題か
私はこのディズニーがつくった、『スター・ウォーズ』続3部作の内容には非常に大きな問題があると思っています。
理由は数多くのサイトで指摘されているものとほぼ同じですが、ひとつずつ挙げていきます。
設定改悪
ネットで“続3部作”の問題点として挙げられているもののひとつが、設定の改悪です。
そのうちのひとつにして、私が最大の問題点と思っているものが、“フォース”に関する設定の改悪です。
“フォース”とは、銀河系全体のどこにでも存在する超自然的なエネルギーのことであり、その流れを感じ取り、操作できる能力があれば、身体能力の向上や未来予知、念力や心理干渉などの、さまざまな神秘的な能力を発現できるとされています。
フォースを操る者たちのうち、基本的に良心的な者たちを“ジェダイ”、権力欲に囚われた者たちを“シス”と呼び、この2大勢力の戦いが『スター・ウォーズ』全編にわたって描かれています。
フォースを操る力を体現するためには幼少期からの厳しい修行が必要ですが、旧3部作の主人公、ルーク・スカイウォーカーの場合は、父親が強力なフォースの使い手だったために、青年期から修行を始めてもフォースを自在に操れるという、一種の特異な存在として描かれていました。
そのためフォースを操る力は遺伝的なものであるかのように勘違いされている面もありますが、その素質のある者は突然変異的に誕生するという設定があって、必ずしも血統に縛られた設定というわけではありません。
また、このフォースはあくまで超自然的な力であって、万能の魔法ではなく、テレポートや分身などはできず、宇宙空間に投げ出された場合はフォースの使い手であっても死に直結します。
フォースによる未来予知についても必ずしもその予想が当たるとは限らず、主人公自身の行動によって破滅の未来が回避されたという展開が、Episode6の終盤において展開されています。
しかしディズニーがつくった続3部作では、このフォースに関する設定を蔑ろにしてしまっています。
まず新しい主人公のレイが、幼少期から修行をしていないにも関わらず、最初から強力なフォースの使い手として、Episode7から登場します。
どんなに強いフォースの使い手の血を継いでいようと、長期間の修行を挟まなければ、その潜在能力を開花できないはずなのにです。
またEpisode8・9では以下のような、フォースの設定を無視したとしか思えない展開が連続しました。
- 空間を超えたまるでスカイプのような通話、
- 雷を落とす
- 宇宙空間に放り出されても死なずに宇宙遊泳で無事に宇宙船に戻る
- 空間を超えて物質転送
- 致命傷を回復させる
- 等身大の人間が両手から雷撃を放って、大艦隊を足止めする
もっとも、フォースによる回復術は旧作の頃から設定としてはありましたが、それは致命傷の回復はできず、死に瀕した者を救うフォースの使い方はシスだけが学べます。
ただ、この瀕死の者を救うフォースの使い方については、かつてのシスの暗黒卿・ダース・プレイガスが研究していたことだけがEpisode 3で示されており、現存しているとは明言されていません。
どう考えても、ジェダイのレイが致命傷を回復させるフォースを使えるはずがなく、現存しているかも怪しい術をカイロ・レンがあっさりと使えるのも変です。
つまり続編であるにも関わらず作品世界の根幹をなす設定を破壊し、ただの便利な魔法のようにフォースを描いてしまっているのです。
こうなってしまうともはや『スター・ウォーズ』の名を冠した、全くの別物だと言えるのではないでしょうか。
人物設定改悪
次に続3部作では人物設定が大幅に改悪されるか、旧作の登場人物が蔑ろに扱われています。
特に問題視されたのが、旧3部作主人公のルーク・スカイウォーカーの改悪。
旧作のルークはかつて悪堕ちした父親の良心を信じ続け、暗黒面の誘惑を断ち切り、父親を救い出し、銀河系に平和をもたらした英雄的存在として描かれています。
彼は決してできた人間としては描かれていませんでしたが、それでも仲間とのつながりを大切にし、未熟さを乗り越え、憎しみや怒りに支配されそうになりながらも、最後はそれを克服し、父親の良心を信じ続けて最後には和解を果たすという、人間味あふれる好青年として描かれていました。
ところが続3部作のルークは、新時代のジェダイとして育てていた弟子が、シスの側に惹かれつつあるというだけで恐怖心を抱き、それに負けて寝込みを襲って殺そうとするという陰湿な人物に改悪されており、その弟子がシスの側に転向するきっかけとして描かれてしまっています。
小説版では、この描写を「スノーク(かつての銀河帝国皇帝、ダース・シディアスの傀儡)にフォースで操られていたからだ」としていたそうですが、Episode6の元気だった頃の皇帝でもそんなことはできませんでした。
しかもルークは実の妹や仲間たちの危機を知っても自分から動こうとせず、新主人公のレイにフォースで負け、敵となった弟子とドッペルゲンガーを介して再会したら挑発するだけに終わってあとは逃亡するという、なんとも情けない無様で精神的に乞食の老人として描写され、大多数のファンの不評を買いました。
さらにEpisode9では、「ジェダイの武器を粗末に扱ってはならない」と、Episode 8でライトセイバーを投げ捨てたことを棚上げするという酷い描写がありました。
ほかの登場人物も徹底的にぞんざいに扱われており、Episode7では旧3部作の人気キャラクター、ハン・ソロは前述したルークの弟子(実の息子)によって、一瞬のうちに殺されてしまいます。
またルークの妹で、レジスタンスの指導者であるレイアは、ジェダイでないにも関わらず、先述のフォースを使った宇宙遊泳を披露するという、意味不明かつ設定破壊要員の役回りを与えられるという酷い描かれ方をされているのです。
これらの人物設定破壊描写は、シリーズを今まで観てきたファンにとっては到底受け入れ難いものです。
続3部作の監督2名は、こんなあんまりな展開を一流のものであるかのように思っているのだとしたら、それはとんでもない間違いです。
こんな暴力的な展開は文字通りの“論外”です。
登場人物の扱いが酷い
続3部作は人物描写が薄っぺらいです。
先述の旧作登場人物が蔑ろな扱いを受けたのに対し、新キャラクターの数だけは増え続けています。
新キャラクターの描写がきちんとしているならまだしも、先述のレイといい、相棒のフィンといい、人物描写がとにかく薄いのです。
またルークの弟子であった敵キャラのカイロ・レンも実力が低く、何のためにシスの側にいるのかよく分からない、中途半端なキャラクターとして描かれていました。
もっともこれは伏線であり、規格外の登場人物であるレイがシス側に、カイロ・レンがジェダイ側になるという展開が、Episode9であるのではと予想されていましたが、そのような展開はありませんでした。
それにカイロ・レンが中途半端なキャラクターだったことは確かであり、そんなキャラに旧作の人気キャラを殺させるのだから、これは非難されても仕方ないでしょう。
カイロ・レンには旧作の敵キャラでルークの父親である、ダース・ベイダーほどの魅力がありません。
それはカイロ・レンの人物描写が薄すぎるからであり、これでは彼が“ジェダイの帰還”を果たした展開も、大方の予想通りでしかなく、これで感動することは難しいのではないでしょうか。
つまり続3部作では、深く描かれていた旧作キャラを殺すだけ殺し、人物描写に深みがなく、商業展開のために用意されただけに等しい新キャラクターたちを売り出すという暴挙が、平然と行われていたように思うのです。
『スター・ウォーズ』シリーズに新キャラを出すのはよいですが、その内面を深く描写してやらなければ、それはただのハリボテに過ぎません。
ハリボテを積み重ねて「物語を描いている! 伝説のシリーズを復活させた!」と言われても、説得力がないのです。
語るべき物語がない
最後に挙げられるのは、続3部作で語るべき物語がないことです。
『スター・ウォーズ』シリーズは単純な二項対立だけの話ではなく、その二項対立を通じて人間の“作為的な態度”を戒める展開が描かれています。
ここでいう“作為的”とは、いわゆる“行き過ぎた考え”です。
たとえば新3部作ではジェダイ騎士団がシスの暗黒面を恐れるあまりに、権力に固執し、恋愛や家族の愛情を否定するという非人間的な態度を取り続けたことが、彼らの滅亡の原因として描かれていました。
またルークの父親であるアナキン・スカイウォーカーも、愛するものを失う恐怖や腐敗したジェダイに対する過剰な怒りに負けて極端な考えに走った結果、シスの暗黒卿、ダース・ベイダーへと転落してしまいます。
対してルークは憎しみや怒りに負けず、それを受け入れながらも高潔なあり方を大事にすることで暗黒面の誘惑に打ち勝ち、父親を救うことに成功しています。
つまり『スター・ウォーズ』シリーズでは、極端な考えに走らずに私欲を受け入れ、そのままよきあり方を大事にすることが怒りや憎しみに打ち勝つ方法だと描写されており、それもテーマのひとつとして、Episode1からEpisode6までがつくられています。
ところが、続3部作では旧作で既にこのテーマをやり切ってしまっていたために、新しいスタッフが描くべきテーマを見つけられず、上っ面だけの“ジェダイかシスか”という話になってしまっています。
つまり“誰がどちらに転ぶの?”という話でしかなく、そこには語るべきテーマが存在しているとは到底思えません。
Episode 9では、新主人公のレイが、旧作のラスボスであるダース・シディアス(パルパティーン)の孫だと判明しましたが、それでなにか新しいテーマが描けたでしょうか?
“悪しき血縁に左右されずにその人自身として生きる”というテーマであれば、既にルークを主人公とした旧3部作の完結編、「ジェダイの帰還」で描き切っています。
つまり、Episode 9の話の骨格も過去作の焼き直しでしかなかったと言えるのではないでしょうか。
まとめ
今回はディズニー版『スター・ウォーズ』に関して、私が感じている問題点について書きました。
今後、このシリーズがどうなっていくのかは誰にも分かりませんが、私はディズニーによって食い尽くされた『スター・ウォーズ』に、よき未来が訪れるとは思えません。
この混乱に終止符を打たない限り、『スター・ウォーズ』シリーズの人気は下がっていく一方だと思います。