映画

多くの日本映画がつまらない理由

投稿日:2020年1月17日 更新日:

徳本です。

以前、私は「多くの日本ドラマがつまらない理由」という記事を書きました。

多くの日本ドラマがつまらない理由

この記事では日本ドラマにつまらないものが多いと述べ、その理由について分析してみましたが、日本映画(邦画)はどうなのでしょうか。

個人的には、日本映画にもつまらないものが多いと思っています

しかし一方で日本映画には、質の良い、光るものがあることも確かだと思います

ただ、全体的な傾向としては、つまらない日本映画が増えているのではないでしょうか。

今回はなぜつまらない日本映画が増えるのか、その理由について私の考えを述べてみたいと思います。


社会風刺や差別問題、性差の問題などの濃いテーマがない

日本映画の場合、海外とは違って深いテーマ性を含んだ作品が少ない傾向にあります。

たとえば社会風刺をとってみても、日本映画には、果たしてどれだけ現代日本の問題を提起した作品があるのでしょうか。

近年では『新聞記者』や『万引き家族』のような作品がありましたが、ほかに社会問題や政治問題をとりあげた作品はあまり思い浮かびません。

ほかにも、差別問題や性差問題など、海外ではごく普通に扱われているテーマが、日本映画だとあまり主題になっていないように感じます。

少し映画から話は逸れますが、この問題については、松本清張氏原作の『砂の器』が2019年に再ドラマ化された際にもありました。

この2019年版『砂の器』では、原作にあった“ハンセン病患者へのいわれなき差別の描写”がごっそりと削られて、“マスコミ問題の描写”へと改変されていたのです。

『砂の器』の原作にあった差別問題への言及を削った理由はわかりませんが、ドラマ製作者が意図的に差別問題の描写を回避したように思えます

この『砂の器』問題と同様、日本映画にも“社会風刺や政治への問題提起を避けようとする傾向”があるのかもしれません。

事実、体制批判や社会風刺を主題とした作品が、近年だと『新聞記者』や『万引き家族』ほどしかない時点で、上述の傾向があるといえるのではないでしょうか。

芸能事務所が幅を利かせるという悪しき習慣

以前私はこの記事で、芸能事務所がゴリ押しして、演技の下手くそな俳優を主演にさせる問題についてとりあげました。

多くの日本ドラマがつまらない理由

これと同様、日本映画でも若手アイドルやタレント、売れ始めたイケメン・美女俳優を“とにかく主演に据える”という例があります。

それは出資上の都合で映画関係者は、芸能事務所の意向のままに売り出し中の俳優やアイドル、モデルを出演させてしまうからだといわれています。

たとえば若手女優の土屋太鳳がいますが、彼女は最近までいわゆる「胸キュンもの」と呼ばれるジャンルの映画に頻繁に出演していました。

個人的に土屋太鳳の演技は“ある時期までは上手かった”と思っています。

それは彼女が朝ドラの『花子とアン』で見せた、子供の母親となった中年女性の演技に、子を持つ親の気持ちや年相応の落ち着いた雰囲気、哀愁が滲んでいたように感じたからです。

しかしたとえ彼女が演技力のある女優だったとしても、その後に出た映画の多くでは単なる“可愛い子”や“明るい子”という、深みのない役を演じていました。

その結果、土屋太鳳自身の演技力も、まるで機械化直後のダース・ベイダーのように低下し、今では単なる所属事務所の“商品”にされてしまったように思います。

つまりは、“どの役柄が本人の演技力を引き出せるのか”を考えず、とにかく売るために演じさせるという悪習が業界にはあると思うんですね。

そもそも、どことつながっているかもわからない大手芸能事務所が幅を利かせ、そこに所属しなければ仕事ができないという環境自体が異常です。

たとえばアメリカだと、俳優は事務所に所属することなく、「タレントエージェンシー」に属するエージェント(代理人)を通じて仕事を取ります。

エージェントは俳優の代わりに報酬や待遇面の交渉などの日常業務を行い、俳優が得る報酬額の20%ほどを受け取っています。

エージェントは俳優を「クライアント」と呼び、出演作品や売り出す方向性などは全て俳優自身に決定権があるので、どの作品に出たいかを俳優自身が決められます。

この俳優自身の主体的な判断が通るというのが、日本の芸能界にはないアメリカ芸能界の特徴だといえるでしょう。

芸能事務所が幅を利かせなくなれば、少しは日本映画もマシになるのかもしれません。


脚本が悪い

次に指摘できるのは、脚本の悪さです。

多くの日本ドラマがつまらない理由

こちらの記事では、日本ではまともに脚本を書いても芸能事務所のゴリ押しやテレビ局の都合で、内容が改変させられる可能性があると、指摘しました。

事務所の圧力や利害関係によって腕のない脚本家が育つ土壌があり、それによって話の厚みに乏しい日本映画がつくられている面も、あるのではないでしょうか。

そもそも脚本とは映画の根本を成す、最も大事な要素のはずですし、脚本制作の作業は同時に最もお金の掛からないことのはずです。

そんな大事な脚本が大手芸能事務所のゴリ押しや、メディアの都合で改変させられるというのであれば、そのこと自体が異常だといえます。

どんなよい脚本を書いても、改変に次ぐ改変で内容が薄くなってしまえば、誰だってモチベーションが下がっていくと思います。

しかし内容が改変させられるという理由で、最初からきちんと脚本を書かないのであれば、それは「脚本家の怠慢」といわれてもしょうがないのではないでしょうか。

まとめ

今回は、私が日本映画をつまらないと思う理由について述べました。

これからの日本映画は一体どうなってしまうのでしょうか。

今のように漫画原作を改悪して映画化したり、ただ売り出し中の俳優を出演させることに重点を置いて製作したりしていては、日本映画はより衰退してしまうと思います。

かつての日本映画には、黒澤明氏の『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』、小津安二郎氏の『東京物語』などが、世界的な高評価を受けた実績があります

今の日本映画業界は、そんな先人たちの残した足跡を蔑ろにしているような気がしてなりません。



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