徳本です。
日曜の朝には『仮面ライダーゼロワン』という番組をやっていました。
この『ゼロワン』は元号が変わって以降の仮面ライダーシリーズ第1作目です。
『ゼロワン』は子供番組ですが、「AIと人間の共存は可能か」をメインテーマに据えており、物語にも厚みがあり、人物描写も基本的に丁寧でしたので、大人も楽しめました。
『ゼロワン』ではこの上記のテーマを丹念に描くために、世界観の構築にも力が入れられていました。
今回は私が『仮面ライダーゼロワン』をおもしろいと思っていた3つの理由について、評価を交えながら、なるべく作品の魅力が伝わるように書いていきます。
ネタバレも豊富にありますのでご注意ください。
(この内容は2020年5~6月頃の感想です。今の感想はこちらにありますので、ご了承ください)
◆この記事の目次
仮面ライダーゼロワンの魅力
私が思う、『仮面ライダーゼロワン』の魅力は以下の通りです。
AIと人間の共存は可能かというメインテーマ
『ゼロワン』の物語は「国立情報学研究所」の監修のもと、“AIと人間の共存する社会は実現可能か”をメインテーマとして書かれています。
親として子どもに伝えるべき人工知能のこと──『仮面ライダーゼロワン』から学ぶ、未来の子どもたちの仕事
劇中の舞台は“AI搭載人型ロボット、ヒューマギアが浸透した日本”であり、『ゼロワン』では、さまざまな職業にそのヒューマギアが就いている様子が描かれています。
このヒューマギアは外見上は人間とほぼ同じ姿ですが、初期状態では極めて“機械的な反応”しかできず、ギャグやジョークも解すことはできません。
しかし学習を重ねることで、ヒューマギアは“人間に近い仕草”をするようになり、“ギャグやジョークも理解”し、やがては“自我に目覚める”存在として描かれています。
事実、『ゼロワン』では自我に目覚めたヒューマギアが複数登場し、そのなかには“人を笑顔にしたい”、“人ともっと仲良くしたい”と思う個体も登場しています。
しかし劇中の“AIと人間が暮らす社会”は決して理想的なものではなく、そんなヒューマギアの願いに反し、人間側が彼らを道具としてぞんざいに扱ったり、虐げたりする場面も多く描かれています。
主役の仮面ライダー達も皆がヒューマギアに対して好意的ではなく、“AIの可能性を信じる者”、“AIへの憎しみに囚われた者”、“AIを認めるが、あくまで道具として都合よく利用する者”とにわかれています。
また、“人間側の悪意”によって悪しき自我に目覚めたヒューマギアも複数登場しており、ヒューマギアが人間に反旗を翻して組織したテロリスト集団、「滅亡迅雷.net」が、劇中の敵として設定されています。
そして物語の進行に伴って彼らの黒幕である大企業も登場します。
『ゼロワン』ではこのように、一筋縄ではいかない現実を描写しながらも、“AIの可能性を信じる”主人公、飛電或人の目を通し、“AIと人間が真に共存可能な社会は実現可能かどうか”問いかけていました。
AIの発達が社会にどんな影響をもたらすかを描いている
先述通り、『仮面ライダーゼロワン』では、“AIが広範囲に浸透し、人々がこれを積極的に利用する日本”が描かれています。
しかしAIが浸透した一方で、“AIに仕事を奪われる人々”や、“AIに仕事を奪われることに恐怖し、凶行に及ぶ人間”も登場します。
まず主人公の或人自身が“ヒューマギアに仕事を奪われた元お笑い芸人”であり、AIによって人々の仕事が奪われる現実をよく知っている人物です。
また、第2クール以降は“AIに仕事を奪われることに恐怖し、凶行に及ぶ人間”も登場するようになり、彼らがヒューマギアへ暴力を加えたことで問題が起こる様子も描かれ、“AIに頼る社会が人間を堕落させる”と厳しい批判を加える者も出てきます。
その一方で第2クール以降の裁判や火災救助のように、“AIと人間が協力することによって解決できる問題がある”ことも描かれています。
このように『ゼロワン』では前述の“AIの自我”も含め、人工知能の発達が社会にどんな影響を及ぼすかを描いており、“テクノロジーと向き合う人間自身の在り方”を問う物語が展開されていました。
この人工知能の発達が社会にもたらす影響がしっかり描かれていたことも、『ゼロワン』の魅力のひとつだったと思います。
多彩な登場人物が織り成すドラマ
『仮面ライダーゼロワン』には多彩な登場人物達がおり、彼らが紡ぐドラマが描かれています。
主人公の飛電或人は“AIの可能性を信じる者”ですが、彼がそうなったのは、幼少期に父親代わりのヒューマギアに命を助けられたからです。
或人は祖父が経営していたIT企業、「飛電インテリジェンス」の社長の座を受け継ぎ、ヒューマギアを製造する企業のトップとして、“真に人間と人工知能が共存できる世界”を模索します。
そんな彼の在り方に影響を受け、或人の社長秘書ヒューマギアであるイズも、機械的な態度から徐々に人間へと近づいていきます。
そんな彼らとは対象的にヒューマギアを憎み、その廃絶を訴える者も登場します。
内閣官房直属の人工知能特務機関、「A.I.M.S」に所属する不破諫は、或人とは違い、少年期にヒューマギアに殺されかけた記憶に起因するトラウマを負っています。
不破はその経験から人工知能に対して強い不信感と憎しみを抱いており、或人に対しても当初はよい感情を抱いていませんでした。
また、A.I.M.Sの技術顧問の立場に居た刃唯阿は、ヒューマギアを認めているものの、あくまで道具と認識しており、自らが属する企業のために、彼らや飛電を都合よく利用します。
そんな彼らが或人と関わることで心境が変化していき、或人自身も“人にとって夢のマシン”という、どこか人間側の都合でヒューマギアを捉えていた態度が、徐々に変わっていきます。
また敵側である滅亡迅雷.netの迅、滅も、物語の進行に伴って立場が変化し、人間とヒューマギアの関係性のなかでドラマが描かれます。
そして中盤以降に登場する、飛電インテリジェンスのライバル企業・「ZAIAエンタープライズ」日本支社長、天津垓は、視聴者に強烈かつ悪辣な印象を与える、文字通りの邪悪です。
第2部で描かれた、人間社会の現実と人工知能の自我の問題
第17話より始まった“お仕事5番勝負編”では、人間社会の現実と人工知能の自我の問題が掘り下げられました。
このお仕事5番勝負は、第16話で壊滅した滅亡迅雷.netの黒幕である大企業、「ZAIAエンタープライズ」日本支社長・天津垓が、飛電側にその買収を賭けて持ちかけたものです。
その内容は飛電のヒューマギアと、ZAIAが製造している「ZAIAスペック(人間の思考速度をAI並みにする装置)」を使った人間とが、仕事対決をするというもの。
この展開は“ヒューマギアとZAIAスペックでは競合相手が違う”と、よく突っ込まれていますが、仕事対決自体が“ZAIA側の宣伝活動(ZAIAスペックや兵器等の実演会場)”と考えることも可能です。
また、後の展開を観る限り、以下のことが天津の目的だったと考えられるので、勝負自体が無意味ではありません。
- 或人を追い詰めて憎しみを抱かせ、「メタルクラスタホッパーキー」を使ってゼロワンを暴走させること
- 後述の自治都市構想の住民投票へ向け、大衆のヒューマギアへの憎しみを煽り、世間のヒューマギア廃絶への機運を高めること
- 暴走したヒューマギアを、天津の変身した仮面ライダーサウザーが倒す様子を市民に見せ、大衆によるZAIAとその技術力への評価を上げること
このお仕事5番勝負編では、ヒューマギアは人間に悪意を向けられることによって、悪意ある自我に目覚める存在だということが判明します。
或人は、未だに悪意を抱く人間が多くいる中、そんな不安定な存在であるヒューマギアと共存できるのかという厳しい現実を突きつけられます。
つまり、このお仕事5番勝負編では、或人が自らの夢を現実にする過程で避けては通れない、“人工知能の自我と人間の悪意の問題”と向き合う姿が描かれているのです。
敵の天津垓はそんなヒューマギアの自我を否定し、“理性のない機械が自我に目覚めることの危険性”を訴え、ヒューマギアを早すぎた産物として根絶しようとします。
事実、作中では人間に悪意を向けられたことで、第3者の介入なしに暴れるヒューマギアが登場しており、天津の言う通りの“危険な存在”としての側面が描写されました。
しかしその一方で、“人間が善意を向けて接することができれば、ヒューマギアとの共存は可能”と描かれてもいて、或人はある出来事を受け、彼らを“製品”ではなく“意志のある存在”として尊ぶようになります。
そしてお仕事対決中では、“人間がヒューマギアを尊び、彼らと共に歩めば解決できることがある”とも描かれました。
つまり、お仕事5番勝負編では“今の世界で人工知能が広まった場合、人間の悪意がより問題となる可能性”が描かれ、彼らと共存するには、“人間側の人工知能への接し方こそが鍵”と結論付けられたわけです。
こういった側面からも話を掘り下げてきたことが、仮面ライダーゼロワンの魅力のひとつだったと、私は思います。
この第2部で描かれた問題提起的な展開は、現在の第3部の内容にも深みをもたらしていくと思われたのですが……。
個人的に思う仮面ライダーゼロワンの問題点
しかしそんな『仮面ライダーゼロワン』にも、複数の問題点が存在しています。
ここからは、私が思う『仮面ライダーゼロワン』の問題点について述べていきますが、ネタバレが豊富に含まれていますのでご注意ください。
お仕事5番勝負編の展開に問題があったこと
最初に挙げられるのは、第17話より始まった“お仕事5番勝負編”の展開です。
先述のようにお仕事5番勝負編では、悪意ある人間が多くいる社会に自我に目覚める人工知能がいることの問題と、それを乗り越えられる可能性が示されていました。
ただ、お仕事5番勝負編では敵にやられっぱなしという展開が多く、対決第2回目の“住宅販売対決”では、以下のような脚本の練り込み不足が散見されました。
- 相手側の不正を知りながら勝負を続ける飛電インテリジェンス
- 売上対決から顧客に満足してもらう対決へといつの間にかシフトしたが、勝負自体は売上対決のままなのでZAIAの勝ちという展開
- 話の進行がなく、前回の生け花対決と同じ展開が繰り返されていた
特に3番目はリアルタイムで観ている人にとっては苦痛になりやすく、年明け1月分の『ゼロワン』は“話の進展があまり見られないまま、主人公側が敵にやられっぱなし”で終わりました。
また、お仕事5番勝負編では週をまたいだ伏線がさり気なく仕掛けられていたので、滅亡迅雷.net編とは違って連続性が強かったことも、視聴者に違和感を覚えさせるきっかけになったと思います。
そして私が第2部の最大の問題だと思うのが、ヒューマギアが悪しき自我に目覚めた際、天津がつくった衛星アークのハッキングによって暴走する姿が多く描かれていたことです。
人間に悪意を向けられたヒューマギアが悪しき自我に目覚めることが問題と描くのであれば、ハッキングなしでも自発的に暴れだすヒューマギアの描写が必要でした。
しかしそういった描写は最終戦になってようやく出てきたので、ヒューマギアの自我に関する問題の原因も全て天津にあるかのように勘違いし、話に乗り切れない人が多かったと推測できます。
また、最終戦で大衆にヒューマギア廃絶の機運が高まる描写をするのなら、劇中の社会でヒューマギアへの不信感がどれだけ増長しているかをもっと描くべきでした。
つまり、視聴者にテーマを伝えるだけの描写を詰め切ることができなかった点が、お仕事5番勝負編の問題だったと思います。
ただ途中からお仕事勝負編の“話に進展がない”傾向にも変化が出始め、2月分以降では話も進行し、3月分では前述の“人間とヒューマギアの共存の鍵”が示されました。
また、お仕事5番勝負の第4回戦・消防訓練対決は、お仕事対決編の傑作と言ってもよい内容であり、続く最終戦ではヒューマギア自治都市構想を巡る住民投票の中で全体主義の恐ろしさが示されました。
この最終戦では、天津が或人側に仕掛けたお仕事勝負を通じ、大衆にヒューマギアへの不信感が増すように仕向けたことが実を結んでしまいます。
テレビ討論会場でヒューマギアに悪しき自我が芽生えるように仕向けることで、天津は大衆のヒューマギアへの憎しみを煽り、憎しみを煽られた大衆は天津の喧伝に呼応。
この共犯関係によって一種の全体主義が発生し、自治都市構想は否決され、世間的にヒューマギア廃絶への動きが起こってしまったのです。
そもそも住民投票とは全体主義者に利用されやすい側面があり、そういう面から考えても最終対決が演説対決になったことに納得できます。
このようにお仕事5番勝負編は、多くの粗はありながらも現実の社会問題やそこに人工知能を投ずる是非を視聴者に問いかける内容が印象的でした。
第2部に少し説明不足な点があったこと
次に挙げられる問題は、第2部から説明不足な点が出てきたことです。
今までの『ゼロワン』の展開では、“会社の社長が変身ベルトを持っている”、“内閣直属の機関に対してアメリカの外資系が技術供与をしている”といった展開がありました。
しかしこれらについて私は、視聴者が劇中で問題視されていない理由を推察できる余地があったように思います。
たとえば“民間企業社長がベルトを持っている”ことが問題視されない理由は、“A.I.M.Sが対暴走ヒューマギア用に都合が良いと判断して目こぼしをした”と考えられます。
また、“内閣直属の特務機関に外資が軍事技術を供与している”ことについても、“相手がアメリカの軍需産業であるので、かの国から圧力があった”と解釈可能です。
しかし『ゼロワン』第2部の展開には、“なぜこうなっているのか”という理由を推察しようとしても難しいところがありました。
先述の天津垓は飛電側に対して数々の妨害工作を行い、或人への暴力や暴走したヒューマギアの勝手な破壊、A.I.M.Sの不破への暴行、人体実験など、数多くの犯罪を犯しています。
この天津が仕掛けた数々の犯罪行為に対し、視聴者からは“なぜ彼を逮捕したり、司法に訴えたりしないのか”という疑問が呈されていました。
私はこの天津が逮捕されたり、司法に訴えられたりしていない理由が物語の核心に関わる以上、まだ描けないのではないかと推察していました。
つまりZAIAと内閣には裏のつながりがあって、それを背景にしているので天津は“好き勝手しても逮捕されないと思っている”のではないか、というわけです。
仮にそうだったとしても、天津が好き放題できる理由が現状では説明されていない以上、それを“きちんと描いてくれるのか”という懸念はありました。
第3部以降は、天津が内閣官房直属の特務機関であるA.I.M.Sの指揮権を得て、それを私兵として運用するようになったことが描かれました。
つまり、天津が好き放題できてA.I.M.Sの指揮権も簡単に得られた理由は、やはりZAIAに日本政府との強いコネクションがあったからだと考えられるのです。
ただ、今後このことに関して劇中で具体的な説明や描写があれば良いと思います。
初期レギュラーの女性ライダー、バルキリーの活躍不足
続いて挙げられる問題点は、初期からレギュラーとして登場している刃唯阿こと、女性仮面ライダー、バルキリーの活躍不足です。
唯阿は当初A.I.M.Sの技術顧問として登場しましたが、その正体はZAIAジャパンの社長直属の社員であり、A.I.M.Sには飛電を壊滅させる目的で出向していました。
ZAIAジャパンにとって飛電インテリジェンスがライバル企業である以上、その壊滅のために唯阿が動いているという事実は、劇中における重要な謎のひとつでした。
しかし、飛電壊滅のため権謀術数を弄することに唯阿は後ろめたさを感じており、A.I.M.Sの一員として“人を守ること”と、“ZAIAの利益”との狭間で揺れ動く心情が、彼女の人物描写の魅力でした。
しかし唯阿が滅亡迅雷.net壊滅を受けて、ZAIAエンターブライズジャパンに戻った以降の展開が問題でした。
唯阿は第16話のラストで、社長の天津が滅亡迅雷.net誕生の原因であり、飛電やA.I.M.Sの動きを都合よく利用していた黒幕だったと知ります。
しかし唯阿はそれ以降もZAIAにとどまり、天津とともに先述のお仕事5番勝負の主催者になりますが、ほとんど活躍しませんでした。
唯阿の出番があったとしてもわずかであり、第22話では天津の指示でゼロワン暴走の原因となるアイテムを製造してしまうという、不遇な立ち位置にいました。
『ゼロワン』前半ではあれだけ活躍し、その揺れ動く心情がドラマを生んでいたにも関わらず、5番勝負編での唯阿はほとんど置物に近い扱いでした。
仮面ライダーシリーズ初の、物語当初から活躍する女性ライダーだった唯阿が、こんな風に描かれてしまうとは残念でなりませんでした。
とはいえ、後の展開にあたる先述の消防士対決だと、彼女の部下思いな側面が描かれ、彼女が天津に従うことはそれと相容れないはずだと強調されていました。
彼女が天津に従う理由が、脳内に埋め込まれたチップにより思考を操作されていたからだと明かされて以降、唯阿は「このままZAIAにいることが真に自分の意志なのか」と葛藤し始めます。
そして後述の第33話にて唯阿はついに天津垓に反逆し、真に自らの意志で歩み始めることになりました。
天津垓の“人間”としての描写不足
最後に挙げられる問題は、主人公の或人たちと対立する悪人、天津垓の描写不足です。
劇中では、天津の極悪非道ぶりが強調され、人間の悪意の権化のように描かれてはいますが、その一方で彼の過去やヒューマギアを嫌う理由などは、1月時点から全く描写されていませんでした。
天津の目的については、「ZAIAの兵器ビジネスを加速させること」だと第25話で明かされました。
しかしそれも第1部時点の彼の言動やZAIA製の破壊兵器・ギーガーの存在などを見れば、当時でも十分推測できるものだったので、実質的に12月時点から彼の心理描写や過去描写は全くないことになります。
私は、この天津の心理描写・過去描写不足こそが、彼がファンから嫌われている最大の理由だと思っています。
主人公の飛電或人や不破諫、刃唯阿などはもちろん、滅亡迅雷.netの滅や迅、雷、亡も内面が丁寧に描写されています。
しかし天津に関しては全くと言ってよいほど心理描写が存在せず、描かれるのは策士、エゴイストとしての側面と或人たちへの怒り程度です。
この物語の中に描写不足の一面的な悪役を入れたこともまた、ゼロワンの問題のひとつだと思います。
今後の仮面ライダーゼロワンに望むこと
ここからは私が今後の『仮面ライダーゼロワン』に望んでいることを、述べていきます。
人間とAIの共存は可能かというテーマを描き切ってほしい
『仮面ライダーゼロワン』の初期から描かれている、“人間とAIの共存は可能か”というテーマ。
私はこのテーマを徹底して描き切ることができるかどうかが、『ゼロワン』が名作になるかどうかのポイントだと思っています。
『ゼロワン』では“人間がヒューマギアに悪意を向ける”、“ヒューマギアが「人間の奴隷ではない」と宣言する”などのシビアな展開が描かれています。
仮に現実にAIロボットがつくられた場合、彼らに悪意を向ける人間は出てくるでしょうし、AIが反乱しなくても、人が都合のよい機械奴隷をつくったことに変わりはありません。
もし劇中で“それでもAIと人間の真の共存を望むなら、乗り越えるべきことはなにか”を描ければ、『ゼロワン』が今後社会で強まるであろうAI開発の動きに、問題提起できるかもしれないと私は思っていました。
そしてそれらは、第2部における人の悪意の問題提起や、第3部での“夢を持つAI”の存在によって、ある程度は描いてくれたと私は思います。
しかし問題提起だけではなく、その解決策を劇中で明確に描写することができるかどうかが、この作品を決定づけるのではないでしょうか。
悪意を抱く人間がいるなかで、人がAIをつくったことの是非を描いてほしい
先述通り、『ゼロワン』では人間がヒューマギアに悪意を向ける様子が描かれており、それはAI開発が加速した場合、現実でも起こり得ることとして捉えられます。
AIをただの道具としてみなし、ぞんざいに扱う人間がいることは、今後AI開発が進んだ場合、実社会でも問題になる可能性があることです。
もし『ゼロワン』がそんな“準備”が整っていない段階で、見切り発車的に高度なAIを導入する是非を問えれば、後の時代に響いてくるのではないでしょうか。
しかしこの件については、劇中で是非を論ずる兆しはなく、「良い面も悪い面もある」という形で収まりそうな気はしています。
ただ、この点を掘り下げることができれば、作品の完成度が上がるのではないでしょうか。
バルキリーこと、刃唯阿をもっと活躍させてほしい
仮面ライダーバルキリーこと刃唯阿の第1部~第2部における描写は、危うい要素を含んでいると私は思っていました。
それは彼女が所属組織の利益のため活動するスパイだったことから、置物同然の扱いによって“女とはこんなものだ”という差別にもつながりかねなかったからです。
また、唯阿は初期からレギュラーとして登場している初の女性仮面ライダーですので、今後の活躍に期待しているファンも多いと考えられます。
仮面ライダーシリーズのファンには男性だけではなく女性も多く、唯阿は彼女達が「カッコいい」と思える要素を持っていると思います。
私は唯阿を上手く活躍させられるかが、今後の『仮面ライダーゼロワン』がプロデューサーのいう、“子供や大人も皆が楽しめる作品”を実現できるかどうかのポイントだと思っていました。
そしてそれから長い時を経た第33話では、ついに多くの唯阿ファンにとって待望の展開が描かれました。
不破のヒューマギアに襲われた過去が天津によって植え付けられた偽の記憶だと知り、唯阿は不破の夢を踏みにじった天津への怒りで彼に反逆したのです。
戦闘中に脳内のチップを操作されて頭痛に苦しみながらも、唯阿は技術者の誇りを胸に仮面ライダーバルキリーとして、技術を悪用した天津を粉砕。
最後は怒りの鉄拳を「辞表」として叩き付け、ZAIAを後にしました。
全てはこの展開のためだったのではと私は思っていました。
つまり今までの置物のような扱いや不憫な役回りは、全て唯阿が天津の支配下から脱し、真に自らの意思で以て彼に反旗を翻す展開を劇的に描くための伏線だったのだと。
唯阿に注目して最初からこの第33話までの展開を振り返ると、“女性が男性支配下から抜け出し、自らの意志で歩み出すまでの物語”になっていると思えるかも知れません。
天津垓を徹底的に“抜け目のない極悪非道な悪人”として描いてほしい
初期から登場し、第1クール後半に顔と名前が判明した、ZAIAエンターブライズジャパン社長、天津垓。
彼は劇中で起こった大事件の原因、つまり実質的な黒幕であり、悪辣かつ卑怯な人物として描かれています。
天津は間接的な大量虐殺、人命軽視、ヒューマギアの意図的な暴走、自作自演、隠蔽工作、捏造、収賄、公職選挙法違反、人体実験、人間の改造手術等、極悪非道の限りを尽くしています。
また作中のヒューマギアが暴走させられた怪物・マギアやその派生系のアークマギア、人間が変身する怪物・レイダーの発生原因は彼にあります。
天津の悪辣ぶりは多くの視聴者の心に刻み込まれていると思いますが、一方で「完全な悪ではない」とする脚本家の発言もあり、評価に迷う人もいることでしょう。
その発言の意図はおそらく彼が、“ヒューマギアが人間の悪意によって、悪しき自我に目覚める”という問題を主張し、それゆえにヒューマギアを廃絶しようとしていたことにあると思います。
確かにこの主張だけならば的を射ているのですが、一方で天津は人間側の悪意を利用して兵器を売り込み、他者の人生や命をも弄んでいるので、人間側をも踏みにじっているのです。
そのため、天津は誰がどこをどうやって見てみても、人間の悪意の権化でしかありません。
私は天津を“抜け目のない極悪非道の悪人”として描いてもらいたいと思っており、彼には決して主人公達の仲間になることはなく、華々しく散っていく展開が合っていると思っています。
ただその一方で、なぜ天津がヒューマギアを嫌うのか、彼の過去に何があったのか、そして最終目的は何なのかを今からでも遅くないので、描いてもらえれば嬉しいですね。
私は今までの天津の言論から、彼やZAIAの目的は「AIと人間の全面戦争を仕組んで、人間の技術発展と世界支配を達成すること」だと推測しています。
最低でも、天津は決して主人公達の仲間になってほしくはないと、私は思っていましたが……。
まとめ
以上、私が思う『仮面ライダーゼロワン』がおもしろい3つの理由でした。
この『仮面ライダーゼロワン』には問題点もありますが、上手く書き切ることができれば、名作になり得る可能性を秘めた作品だと思いました。
この『仮面ライダーゼロワン』という作品は、それだけの可能性があるように思っていました。