徳本です。
2022年に円谷プロは『ウルトラマンデッカー』を放映しました。
しかし「前作のウルトラマントリガーがつまらなかったから、続編設定が要らなかった」、「なぜトリガーはつまらなかったのか」と思う方も多いのではないでしょうか。
私自身、『ウルトラマントリガー』に対しては「つまらない作品だったな」という感想を抱いています。
Amazonでの評判を見た限りでも、『ウルトラマントリガー』は「駄作」・「つまらない」という評価が大半を占めています。
『ウルトラマントリガー』はなぜ、悪い評価がされるようになってしまったのでしょうか。
そこには円谷プロや主要スタッフの、スポンサーへの忖度・先人へのリスペクト欠如があったのです。
今回は私が『ウルトラマントリガー』を観て「つまらない・ひどいと思ったポイント」と、「評価ポイント」・「つまらなくなった理由は何か?」を解説、分析していきます。
◆この記事の目次
『ウルトラマントリガー』をつまらないと思った4つの点
私が、『ウルトラマントリガー』を観てつまらない・ひどいと思ったポイントは、以下の4つです。
- 脚本の破綻・ご都合主義のオンパレード
- 『ウルトラマンティガ』を冒涜したこと
- 「スマイル! スマイル!」を連呼するだけの主人公
- ほとんどの登場人物・キャラクターが薄っぺらい
特に脚本の破綻は致命的であり、『ウルトラマントリガー』という作品の魅力の7割は、これで削がれたと思います。
以下からは、4つのポイントについて具体的に解説していきます。
ネタバレも豊富に含まれているのでご注意ください。
脚本の破綻・ご都合主義のオンパレード
『ウルトラマントリガー』では脚本が破綻しており、ご都合主義が繰り返し描かれていました。
全26話中、第1~第13話までは主人公・マナカ・ケンゴの正体に関する話が展開され、第14~第26話は闇の巨人・トリガーダークの力を得た登場人物・イグニスにスポットがあたっています。
前半と後半で実質2人の主人公がいるに等しい構成になっているのですが、問題は話の展開が非常に下手な点にあります。
たとえば、第1話の時点でも、以下のように違和感を覚える場面が5つもありました。
- ケンゴが周りに人がいる中、独り言で心情を喋りまくり、誰もそれに反応しない
- 防衛組織が管理している火星の遺跡に、ケンゴが無断で立ち入っても問題にならない
- 防衛組織の創始者・シズマ・ミツクニが、唐突に「君の夢は何だ?」とケンゴに訊いてくる
- ケンゴがミツクニの問いかけを不思議に思う場面がない
- 敵キャラの闇の巨人の1人・カルミラが、なぜか等身大でトリガーの石像を壊そうとする
続く第2話・第3話では、次のように、首を傾げざるを得ない場面が用意されていました。
- ケンゴに反発していた防衛組織の隊員・ヒジリ・アキトが、唐突に考えを改めて協力する
- 理由もなく、結論ありきのように、トリガーを味方だと判断する防衛組織の隊員たち
- 巨大母艦の主砲を市街地の真ん中にぶっ放し、被害を拡大させる防衛組織
- ヒロインのシズマ・ユナを狙っているイグニスを、いきなり味方だと信じるケンゴ
第1話~第3話はメインライターのハヤシナオキ氏が書いた話だったので、「メインライターはドラマの経験がないみたいだし、他の人なら大丈夫だろう」と期待はできました。
しかし以後も、脚本が根本的に改善されることはなく、次のようなご都合主義・稚拙な展開が継続・頻出していたのです。
- 「強敵が現れ、防衛組織全体で協力して倒す」パターンが繰り返される
- 「皆を笑顔にしたい」といいながら、ほぼ変身して戦うだけのケンゴ
- 登場人物の唐突な心境変化
- なぜか相手の事情・物の使い方を知っている登場人物たち(理由・説明なし)
- 全編を通した敵キャラが唐突に乱入し、トリガーが何度もボコボコにされる
- 謎が明かされるも、矛盾だらけの真相(火星の遺跡・タイムパラドックスなど)
『トリガー』では基本的に登場人物の描写もあまりされず、ドラマ性が皆無なので、見どころに乏しい話が多い印象でした。
仮に入れ子構造的に話を展開するのであれば、視聴者に「これはあくまで作り物である」と示すことが重要だと思うので、上記のいびつな構成も納得できるでしょう。
しかし、入れ子構造的な物語ではないので、単に『トリガー』の作劇がずさんなだけに終わっています。
では、戦闘シーンは魅力的なのかというと、確かに特撮は凝って作られています。
しかし敵キャラである「闇の3巨人」の乱入ぶりがひどく、多くの場面で怪獣を倒した直後に乱入し、トリガーをボコボコにします。
トリガーが話の進行に応じて強くなっていくならわかりますが、物語の最初から最後までボコボコにされ続けるので、カタルシスもへったくれもありません。
強化されたはずのトリガーが、何故か通常形態で互角だった3巨人に負けるなど、キャラの強さがよくわからない場面も多くありました。
「終盤まで3巨人を退場させられない」という脚本の事情があったのでしょうが、「途中退場させて復活させる」など、いくらでも描きようはあったはずです。
3巨人を無理に出し続けることで、ただでさえ破綻している脚本がさらにひどくなり、いびつなハリボテを見せられているようにしか思えませんでした。
脚本の破綻をあえて好意的に解釈するなら、『トリガー』は「ドラマを否定した、スポンサーのプロモーションビデオ」だったと、いえるでしょう。
『ウルトラマンティガ』を冒涜したこと
『ウルトラマントリガー』のコンセプトは、「『ウルトラマンティガ』の衝撃を再来させる」でした。
『ウルトラマンティガ』は平成ウルトラシリーズの第1作目で、以下の魅力的な要素から、現在も根強い人気を誇る作品です。
- 整合性のとれた物語
- 多彩な登場人物の深い心理描写
- 現代社会への警鐘を鳴らしつつも、前向きなメッセージを訴えるドラマ
- リアル志向の魅力的な世界観
では、「『ティガ』を受け継ぐ」と名打たれた『ウルトラマントリガー』はどうだったかというと、上記とは真逆の以下の展開を繰り返していました。
- 破綻著しい物語
- 数だけは多い登場人物と、3人限定の薄っぺらい描写
- 現代社会を無視して宙に浮いた、メッセージ性に乏しいドラマっぽい何か
- リアリティを徹底的に無視する壊れた世界観
「『ウルトラマンティガ』の衝撃を再来させる」というコンセプトは、どこへ行ったのでしょうか。
また、『トリガー』には『ティガ』の怪獣から、ガゾートとキリエロイドの2体がゲスト出演しましたが、どちらもひどい扱いに終わりました。
『ティガ』のガゾートは、電離層に存在する生物・クリッターが人間の開発したエネルギーによって変異した怪獣で、人間を捕食する恐ろしい存在でした。
クリッターには共食いをする性質があり、ガゾートが人間を食う理由も、彼らが我々を「トモダチ」とみなしているからという、皮肉な設定がされていました。
ところが『トリガー』のガゾートはクリッターが変異してはいるものの、ただ戦闘機に向かって「トモダチ」と呟き、トリガーによって一方的に倒されるだけの存在です。
しかも直後に闇の巨人の1人が乱入するので、実質的な前座扱いで終わり、「えぇ!? たったこれだけかよ!?」と思った方も多いと思います。
一方、『ティガ』のキリエロイド(キリエル人)は、怪獣災害に対する人類の不安に付け込み、救世主を騙って人々に自分たちを信奉させ、地球を支配しようと目論む存在でした。
オウム事件を想起させるキャラクター性が印象的で、現代社会に対する警鐘を鳴らすメッセージ性の強い物語も、多くのファンの記憶に残っていることでしょう。
ところが、『トリガー』でのキリエル人は自らが救世主を騙ろうとするのではなく、救世主を探しているという設定でした。
ヒロインのユナを救世主に相応しくないといって襲おうとする、ただの変質者として描かれ、闇の巨人にボコられたトリガーを圧倒するという微妙な役回りでした。
直後にずさんな経緯で出現したティガとトリガーとのタッグに倒され、そこらにいる悪役と同じ扱いがされたことにより、『ティガ』ファンを奈落の底へ突き落としました。
『トリガー』では確かに『ティガ』をなぞった展開やキャラが出てきますが、上記のように全てが輪郭をなぞるだけに終止し、本質を捉えていませんでした。
3,000万年前の超古代・ルルイエ・邪神・怪獣迎撃組織としてのGUTSなど、『ティガ』を連想させる要素は散りばめられていても、そこに深い意味やテーマがないのです。
闇の3巨人も『ティガ』の劇場版から拝借したキャラであり、トリガーの出自も『ティガ』劇場版をなぞってはいますが、そこにドラマ性はありません。
まるで「『ティガ』を冒涜する」ことをコンセプトに作られたようなものなので、『ティガ』ファンにケンカを売るための作品だったのでしょうか。
「スマイル! スマイル!」を連呼するだけの主人公
私が『ウルトラマントリガー』をひどい・つまらないと思う最大の理由が、主人公・マナカ・ケンゴの徹底した描写不足です。
多くのドラマ・映画・アニメ・小説などでは、主人公は物語の核をなす存在であり、作者やスタッフによって内面や心理描写などが多く描かれる傾向にあります。
なぜなら視聴者・読者は数ある登場人物の中でも、特に主人公に感情移入をし、物語を追っていくからです。
しかし、『トリガー』の主人公・マナカ・ケンゴは、全くといっていいほど内面描写がされず、何を考えているのかすらわかりません。
唯一劇中で示されるのは、ケンゴが「皆を笑顔にしたい」と思って行動していることと、「スマイル! スマイル!」が口癖だということです。
ところが、ケンゴが「皆を笑顔にしたい」と思うようになった理由は全く描かれません。
人を笑顔にするためにとる行動は、「民間人の避難誘導をする・トリガーに変身して敵と戦う」だけです。
しかも無駄に口癖を連呼し、落ち込んでいる人にも笑顔を強要するので、まるで新興宗教の狂信者のように描かれます。
第12話では、ケンゴの正体が「超古代にトリガーダークの心の中に生じた、善き念が分離した、光の化身」だと明かされました。
ケンゴの不自然な描写は、彼の正体が光の化身だったからと解釈はできますが、なぜ「笑顔にこだわるか」は不明なまま話は進んでいきました。
そもそもケンゴは火星で拾われ、母親に人間として育てられた存在なので、人としての勇気や戸惑い、葛藤などはあるはずです。
事実、「強化形態の力を使いこなさなければ」と気負い、焦る姿だけは描かれていました。
つまり光の化身という設定でも内面描写は可能なはずで、笑顔にこだわるようになった理由を描くこともできたのではないでしょうか。
たとえば、「子どもの頃、一生懸命育てた植物を母親にプレゼントしたら、とても喜んでくれた」など、小さな理由でも良いと思います。
「光であり、人である」と劇中でいわれている以上、ケンゴの人としての側面を描かなければ、言葉の意味がありません。
光の化身という理由で、「何を考えているかわからず、人に笑顔を強要し、トリガーとして戦うだけ」しか描かれないのであれば、ただの舞台装置です。
今までのウルトラマンにも宇宙人・人造巨人など、人間にとって未知の存在がいましたが、彼らは逆に人間味あるキャラとして描かれていました。
光の化身というだけで肝心の主人公を魅力的に描けないのであれば、それは脚本家の作劇能力が不足しているといえるでしょう。
ほとんどの登場人物・キャラクターが薄っぺらい
『ウルトラマントリガー』の登場人物・キャラクターのほとんどは、薄っぺらい背景設定がされているか、全く内面描写がされません。
たとえば、ケンゴの相棒であるヒジリ・アキトは幼少期に怪獣災害で両親を失い、ユナの実家で過ごしてきたという設定がありました。
天涯孤独となった自分に優しさを向けてくれたユナを守りたいと思い、トリガーの力を得るために変身アイテムを作成するなど、まるで主人公のようでした。
しかし、アキトのユナを守りたいという意志は何度か描かれはしたものの、主人公の影に隠れがちだったり後半ではギャグ描写に利用されたりなど、散々な扱いが目立つようになります。
一方のユナは、地球の命運を握る超古代の巫女・ユザレの子孫にして、彼女を体内に宿しているという設定がされていました。
ところがユナのほうも、「守られてばかりじゃダメだ」と思った後に「自分は守られる側だ」と言わんばかりの矛盾した描写がされるなど、描写が一貫せずに心境変化も唐突でした。
物語のメインを張る3人の描写がおかしい点で致命的ですが、彼らが所属するGUTS-SELECTの隊員達は、最初から最後まで全く内面描写がされずに終わりました。
描かれたのは、奇声を発して戦闘機を操縦する姿・筋肉がどうたらとばかり言う姿・部下に指示を出す姿・わちゃわちゃと文句を言う姿などです。
敵側の闇の3巨人も、いがみ合ったり恨み節を言ったりする場面ばかりで魅力など皆無でした。
つまり『ウルトラマントリガー』では、ほとんどの登場人物・キャラクターがまともな設定もない、単なる舞台装置としてしか描かれていなかったのです。
『ウルトラマントリガー』で良いと思った3つのポイント
『ウルトラマントリガー』には問題点だけがあったわけではなく、良い点もありました。
私が、『ウルトラマントリガー』を観て良いと思ったポイントは、以下の3つです。
- キャラクター・アイテム・メカニックのデザイン
- 『ティガ』とは別の意味をもった、「光であり、人である」
- イグニスの設定・描写
キャラクター・アイテム・メカニックのデザイン
『ウルトラマントリガー』のキャラクター・アイテム・メカニックのデザインは、非常に良かったと思います。
トリガーのデザインはティガを踏襲しつつも、胸のプロテクターなど古代の神殿を思わせる意匠を強め、形態ごとにシルエットが変わるなどの差別化がされていました。
闇の巨人達も元ネタを踏まえつつ、より禍々しいデザインに仕上げられ、シリーズを通した悪役やトリガーの暗黒面を表現するのに相応しいデザインだったと思います。
また、GUTS-SELECTの戦闘機であるガッツファルコンも、ガッツウィングをベースにしつつも変形機能が搭載されているなど、工夫が見られました。
他にも隊員服・ガッツスパークレンスなどの小物類も、シンプルながらも洗練されたデザインに仕上げられ、特にブラックスパークレンスはカラーリングを含めて魅力的でした。
『ウルトラマントリガー』の作劇に高いドラマ性があれば、各デザインの魅力もより際立ったと思うので、残念でなりません。
『ティガ』とは別の意味をもった、「光であり、人である」
『ウルトラマントリガー』の主人公であるケンゴは、夢の中でユザレに「あなたは光であり、人である」と形容されます。
「光であり、人である」とは『ウルトラマンティガ』の主人公・マドカ・ダイゴに対し、そちらの劇中のユザレがたびたび口にしていた言葉でした。
意味は「ダイゴは人間であり、光の巨人になれる。だからこそ人類の選択にも干渉できる」というもので、終盤のある展開で大きなキーワードとなりました。
一方の『トリガー』における「光であり、人である」の意味は、「ケンゴは光の化身だが、人として育てられた。だから人として生きていける」というものでした。
主人公の出自が真逆であることを、同じ言葉で表すという演出は、なかなか面白い試みだったと思います。
ただ、肝心のケンゴが人間的に描写されていないので、上記の試みも中途半端に終わった印象でした。
イグニスの設定・描写
レギュラー登場人物の1人、イグニスの設定・描写はなかなか良かったと思います。
イグニスは宇宙を巡るトレジャーハンターという設定で登場し、当初は闇の巨人達と同様、ユナを狙う存在として描かれていました。
しかしイグニスがユナを狙う理由は、闇の巨人によって滅ぼされた故郷と同胞達を復活させるためであり、主人公達への害意はありませんでした。
戦いの中でケンゴ達と過ごすうちに、イグニスは復讐心を乗り越え、最終的には「人を守るため」にトリガーダークとして闇の巨人と戦います。
同胞の仇討ちを考え、故郷を蘇らせるためなら手段を問わなかったイグニスが、ケンゴ達との関わりを経て成長していく過程は『トリガー』の中で唯一、まともな描写がされていました。
動機と目的・目的を達成するための手段などが明確に描かれており、演じた細貝圭氏の演技力もあって、イグニスは唯一感情移入できる登場人物に仕上がっていたと思います。
ただ、あくまで『トリガー』の中では良い設定・描写が用意されていたというだけで、個人的にイグニスの物語はどこか凡庸だった点は否めないと思います。
それでも、イグニスは『トリガー』の実質的な主人公といっても良いほど、多くの視聴者に印象を残した登場人物だったのではないでしょうか。
『ウルトラマントリガー』は何故悪い評価がされたのか
なぜ『ウルトラマントリガー』は、悪い評価がされる完成度になってしまったのでしょうか。
私が思うに『トリガー』の完成度が低下したのは、制作側に以下の2つの問題点があったからではないでしょうか。
- スポンサーへの忖度
- 先人へのリスペクト欠如
スポンサーへの忖度
まず考えられるのは、スポンサーである玩具制作会社・バンダイへの忖度です。
近年のウルトラマン、仮面ライダーなどの特撮ドラマでは、主人公達が使うアイテムの数が多い傾向にあります。
たとえば、『仮面ライダーゼロワン』では、変身ベルト類だけでも14本(劇場版REALTIME除く)もありました。
ゼロワン - アイテム・その他図鑑 | 仮面ライダー図鑑 | 東映
アイテム数が多い理由は、多くの玩具を売りたいというバンダイ側の意向があるからで、この点からスポンサーの作品への影響力が非常に強くなっていることがわかります。
ウルトラシリーズの場合は過去作を使った商品展開がされており、主人公が過去作ヒーローの力を借りて変身するスタイルが長く続いていました。
『トリガー』は『ティガ』の25周年記念に合わせて展開されたので、そこには『ティガ』の要素で金儲けをしたいという、バンダイの意向があったと考えられます。
つまりスポンサーの意向のままに、『ティガ』要素を扱う企画を通してしまったことに問題があったのではないでしょうか。
現在の円谷プロの株はバンダイとパチンコ屋が握っているので、ある程度意向を聞くのはわかりますが、肝心の内容をめちゃくちゃにして良いわけがありません。
過去作の人気に擦り寄り、オリジナリティのかけらも感じられないような企画を通した時点で、円谷プロは死んだのではないでしょうか。
先人へのリスペクト欠如
『ウルトラマントリガー』には、『ウルトラマンティガ』を冒涜しているとしか思えない場面が多々ありました。
『ウルトラマンティガ』の表面だけをなぞった展開や「ただティガと共演させときゃ良いだろう」と言わんばかりの演出などがそれに該当します。
『ウルトラマンティガ』がもつ良質なドラマ性は、当時のスタッフが苦心して作り上げたものであり、そこに敬意を払うのが作り手としての真っ当な態度だと思います。
ところが『ティガを受け継ぐ』と謳った『ウルトラマントリガー』で行われたのは、『ティガ』を冒涜するような、あまりにもひどい展開でした。
そこからは当時のスタッフへの敬意も何も感じられず、ただ商売のために過去作を利用していることだけが見て取れました。
確かに『ティガ』は多額の予算を注ぎ込み、結果的に赤字になった作品ですが、それは当時の円谷プロ経営陣の放漫経営(経理の機能不全含む)が問題だったわけで作品に罪はありません。
先人の苦労や志を無視し、踏みにじるような内容に許可を出した時点で、『トリガー』という作品の破綻は確定していたのではないでしょうか。
まとめ:『ウルトラマントリガー』の路線はもうやめるべき
以上、『ウルトラマントリガー』をつまらない・ひどいと思った理由と、この作品がつまらなくなった原因の考察でした。
続編である『ウルトラマンデッカー』では、『トリガー』から改善されている点が見受けられましたが、『トリガー』の続編という点だけで、2本分の総合的な完成度は下がらざるを得ません。
今後、『トリガー』と同様の問題を繰り返した場合、確実に多くのファンから見放されるでしょう。
いつかウルトラシリーズのメインライターに、ハヤシナオキ氏が再び起用される可能性もゼロではありません。
ウルトラシリーズの継続を考えるのであれば、『トリガー』から始まった路線をやめ、再び新規作品の制作に舵を切るべきではないでしょうか。