徳本です。
日曜朝にやっていた『仮面ライダーゼロワン』という番組では、“人間とAIの共存の可否”をテーマに話が書かれてきました。
しかし、やがて『仮面ライダーゼロワン』は当初掲げた方向性を見失って迷走してしまい、単なる“お仕事紹介”と“AIは素晴らしい”と訴えるだけのドラマになってしまいました。
今回は私が『仮面ライダーゼロワン』がつまらないと思う理由を5つ挙げ、どうすれば面白くなったかについて個人的な考えを書いていきたいと思います。
◆この記事の目次
仮面ライダーゼロワンをつまらなくしたと思う5つの要素
私が『仮面ライダーゼロワン』を観ていて、「これらの要素が作品をつまらなくしたのではないか」と思う要素は、以下の5つです。
お仕事5番勝負編という、視聴者へのアプローチに乏しかった章
まず挙げられるのは、第17話より始まった「お仕事5番勝負編」と呼ばれる章。
主人公、飛電或人が社長を勤める「飛電インテリジェンス」は人工知能搭載人型ロボット・ヒューマギアを販売する会社ですが、第16話までの出来事で、ヒューマギアと飛電に対する人々の信頼は著しく下がっていました。
そこに現れたのが、飛電のライバル会社にして、AI産業の市場拡大を狙うZAIAエンタープライズの日本支社社長・天津垓です。
天津はかねてから飛電の子会社化を目論んでおり、報道陣の前で飛電インテリジェンスを買収すると宣言。
或人は社長の座に就いてまだ日の浅い身でありながら、天津による会社買収を防がざるを得なくなりました。
ここまで見る限りだと、“単なる企業同士の買収を掛けた対立話”に思えますが、問題はその後です。
すぐに飛電インテリジェンスを買収しようと思えばできるにも関わらず、何故か天津は「お仕事5番勝負」というヒューマギアと人間が仕事対決をする舞台を用意します。
「ZAIA製品を付けて思考速度のアップした人間とヒューマギアが対決し、飛電側が勝利すれば買収話をなかったことにする」と言い、天津は或人をわざわざ勝負の舞台へと誘ったのです。
彼がこのような舞台を用意した理由は、「勝負中にヒューマギアを暴走させて飛電の信頼を失墜させると同時に、ZAIA製品の有用性を人々にアピールするため」でした。
第17話以降、第29話まではこのお仕事5番勝負を話の中心に据えて構成され、そこでは自我に目覚めるAIとそれに対する人間の悪意の問題などが取りあげられていました。
この展開の中でヒューマギアは人間に悪意を向けられると悪しき自我に目覚めると判明し、或人は“そんなヒューマギアと人間が社会に共存できるのか”という問いを突きつけられます。
これだけを見ると、「仕事対決自体は競合の面などで気になる点はあるが、テーマ自体は面白そう」だと思えます。
確かにこのテーマに絞って話を構築し、“自我に目覚めるAIと人間は、果たして共存できるのか”を掘り下げれば、作品の特色も面白い方向に出たと思います。
しかしこのお仕事5番勝負編で大方の視聴者の印象に残ったのは、「悪役である天津の司法をも歯牙に掛けぬ傍若無人ぶりと、同じ展開の繰り返し」です。
例えば、天津が自分の悪行を棚上げして「思い込みで犯人を決めつけるヒューマギアは危険」と言い、自らの手で弁護士ヒューマギアをわざと暴走させる展開がありました。
しかしこのとき、或人の秘書型ヒューマギアのイズが天津によるハッキングをカメラアイで撮影していたので、これを証拠として示せば、或人達が司法に訴えることも可能でした。
ところが或人達はそんな素振りは一切見せず、この件を警察に説明したかどうかも示唆されないまま話は進んでいきました。
それだけではなく、毎回ほぼ同じパターンでヒューマギアが暴走し、或人がそれを「止めろ! お前はそんな奴じゃないはずだ!」と言って制止する場面は何度も描かれました。
さらに天津が「ZAIA製品のアピールをする」目的で勝負を持ちかけたにも関わらず、肝心のZAIA製品のレイドライザーは犯罪に使われてアピールにならないという展開も繰り返されていました。
これでは何のために天津がお仕事5番勝負を仕掛けたかが分かりません。
また、飛電側も何故か“天津に勝負内容を提案する”といったことをせず、天津の提示した内容に従って勝負を続けていたので、その点も不自然でした。
「買収される側なので、勝負内容を提案する権限がなかった」という説明でもあればまだ良かったのですが、そんな説明もなかったので視聴者からは疑問が呈されることに。
さらに天津が数々の犯罪(収賄、公職選挙法違反、暴行罪、破壊活動防止法違反etc)を犯しても逮捕されないのかといった点がほぼ説明されていなかったので、その点も問題でした。
確かに第30話では、天津が内閣直属の対人工知能特務機関の指揮権を簡単に得ていることが描かれたので、「ZAIAが内閣に圧力をかけられる」と考えることも可能でした。
しかし劇中ではそれについて一切説明がないことに変わりはないので、主要登場人物の行動理由について視聴者の見解に大きな差が生じることになりました。
他にも説明不足は多々あり、天津がメタルクラスタホッパーキーを作って或人を暴走させた理由や自分からそれに戦いを挑んだ理由も、本編が完結しても説明されていません。
そもそも、天津がお仕事5番勝負を仕掛けた理由自体も劇中では明確に説明されていないので、視聴者によっては単なる「捨て回」と捉える人もいました。
つまり、このお仕事5番勝負編は数々の説明不足や断片的な描写の数々、ご都合主義としか思えない描写、ワンパターンな展開によって、多くの人が楽しめる章ではなくなっていたのです。
主人公、飛電或人の魅力が乏しい
続いて挙げられる問題は、主人公である飛電或人の魅力不足です。
彼は幼少期にヒューマギア代わりの父親に命を救われ、それによってヒューマギアの可能性を信じるようになりました。
或人は飛電インテリジェンスの社長になり、“人間とヒューマギアが共に笑いあえる世界”の実現のために動きます。
当初はヒューマギアと人間の関係性を漠然と“仲良くできるはず”と捉えていた彼も、第17話以降の展開によって“人間側がきちんとヒューマギアと向き合わなければならない”と考えるようになります。
会社が天津に買収されて以降、彼は「飛電製作所」という中小企業の社長になり、ここを拠点として廃棄されたヒューマギアの復元に励むことになりました。
これらを見る限り、「漠然と理想を掲げていた青年が現実を知り、その中で良き夢を追うようになる」話だと思えます。
確かに大まかな流れだけを追えば、或人の成長物語として描かれているように捉えられるのですが、問題は彼が夢の実現のために努力をしていないことです。
というのも、実は或人は祖父の遺言によって社長に就任した身であり、以前はお笑い芸人をやっていました。
つまり権力の座につくまでの葛藤などは経ていないのですが、それはそれでいきなり与えられた立場に困惑しつつも良き社長であろうとする描写ができます。
実際、社長の立場に困惑しつつも或人がリーダーシップの片鱗を見せる描写はあり、社長として社員のヒューマギアを見守っていこうとする姿も描かれています。
ところが、或人自身が会社経営について勉強しようという描写はなく、自分が経営者としてふさわしいのかと考える場面もほぼありません。
傷付いたヒューマギアを自分の手で助けたいと技術を学ぶ描写もなく、会社の危機に際して人間の社員を励ます描写もありません。
あるのは、ヒューマギアの暴走を不安視し、ヒューマギアを励まし、ヒューマギアに助けられる描写です。
このような事情から、或人は人間の社員とはほとんど関わりがありません。
しかしこの、或人がヒューマギアを励まし、ヒューマギアを助ける描写はしっかりとあるので、「人型AIを助けるAI好きの人間」としては描かれています。
その一方で、経営面での或人は秘書であるイズに助けられてばかりであり、秘書の支えがなくても自分で何とかしようという描写はほぼありません。
当初は経営面で秘書に助けられていた或人が、やがてイズや他の社員を積極的に助けるようになるのであれば、彼の成長も明確に示せたはずですが、終盤でも彼はイズに助けられることがほとんどです。
つまり、或人の描写は「人型AIを助けるAI好きの人間」としての側面が強調されている一方で、「企業の社長を勤めるに相応しい人間」としての描写が欠けているのです。
もっと言うと、或人は“制作側が強調したい側面は描かれているも、そうではないと思われる要素は深く描かれていない登場人物”なのです。
そもそも或人はヒューマギアの自我を肯ってはいますが、自我に目覚めたAIを社会にどうやって受け入れるか、を考えもしていません。
飛電製作所に所属後、彼は漠然と“良き自我に目覚めればAIは暴走しないはず”と思って行動していたと考えられるのですが、不確定な事柄なので、それだけを頼みにするのは危険です。
脚本としては「それが正解」なのかも知れませんし、個人的に「そういう展開なのかな」と思って観ていましたが、或人が何故それを正解だと思ったかについては、全く描かれていません。
そして挙げ句の果てに或人は、敵の“人間を超えたAI”に腕力で上回られて、自我に目覚めたAIに恐怖するという情けないことになってしまいます。
今まで、「人間とヒューマギアが共に笑い会える世界の実現」を掲げ、AIの自我を肯ってきた態度はどこへ行ったのでしょうか。
また、続く話では「自分で会社を興した~」と飛電製作所のことを自慢していましたが、それは秘書のイズに作ってもらった会社ですので、彼が興した会社ではありません。
このように或人には、「誰の支えがなくても自分で何かを成し遂げよう」とする態度やそのために努力する姿勢が欠如しているのです。
もし描写不足がそういった点にまで及んでいるということであれば、肝心の主人公の魅力を引き出せないスタッフの力量不足と言わざるを得ません。
やがてラスト付近で或人は秘書のイズを破壊され、憎しみに囚われて悪になり、劇中の真のラスボスたるアークワン(仮面ライダー化したアークの進化態)になってしまいます。
今まで掲げていた夢はどこへやら、敵も味方も関係なしに力を振るい、或人は人類とAIの全面戦争のきっかけとなってしまうのです。
この展開も今までの或人の態度を鑑みると、ある意味では納得できなくもないですが、それならば今まで1年近く掛けて書いてきた話は何だったのでしょうか。
さらに最終回で或人は破壊されたイズと同じ姿の個体を作り、それを「イズ」と名付けて「かつてのイズと完全に同じ存在にする」と宣言していました。
AIの自我を尊ぶと言っていた或人は新しい秘書型ヒューマギアの「個」を認めず、破壊されたイズの個性をそれに押し付けたのです。
これでは或人のやっていることは、事故で死んだ息子そっくりのロボット・アトムを作り、それに「息子と同じであれ」と押し付けた『鉄腕アトム』の天馬博士と変わりません。
この今までの展開を無に帰すような展開は、スタッフが行き当たりばったりで物語を書いていることを示していると思えてなりません。
初期から居る女性仮面ライダー、バルキリーこと、刃唯阿の軽視
次に挙げられることは、初の初期レギュラーメンバーでの女性仮面ライダー、バルキリーに変身する刃唯阿の軽視です。
以前の記事で説明したように、彼女はZAIA日本支社の人間として飛電を潰すために行動するも、“人を守ること”と“会社の利益”の間で揺れ動く人物として描かれていました。
やがて社長の命令でお仕事5番勝負を取り仕切る中で、唯阿は天津の悪行三昧に嫌悪感を抱き、「このままZAIAに居ていいのか」と葛藤します。
しかし脳内に埋め込まれたチップから発せられる命令には逆らえないと思い込み、反逆することを諦めていましたが、同じ対人工知能特務機関に居た不破諫の訴えによって考えが変化。
天津の命令に逆らい、唯阿は彼の元から去って1人で道を切り開くことを選んだのです。
これも、全体の流れを追う限りでは「組織の命令に黙々と従っていた女性が、やがてその在り方に疑問を抱き、悪しき命令を出す経営者から離反する話」です。
これを見る限りだと、1人の女性が男性支配下から脱するまでの話であるように思えます。
ところがよく見ていくと、唯阿はいつも不破や天津など、男性キャラクターに左右されて行動しているのです。
例えば、天津の命令によってヒューマギアを暴走させる、不破の訴えによってZAIAから離反するなど、彼女の背中を押すのは常に男性です。
天津と不破の2人はともに唯阿と密接に関わる登場人物であり、不破はかつての仲間なので、その訴えをきっかけに行動することは不自然ではないかも知れません。
しかし唯阿の行動は、そのほとんどが男性キャラクターによって先導される形で描かれているのです。
唯阿が元滅亡迅雷.netの迅に協力した時を例に出しましょう。
迅の提案はヒューマギアの暴走原因である通信衛星アークを湖底から地上に引きずり出し、倒すというものであり、そのためには彼の仲間の亡を復活させる必要がありました。
唯阿はその際、彼の提案をそのまま実行しただけに終わり、結果としてアークを地上に引きずり出すことには成功したものの、予想外の戦闘力で圧倒されることになりました。
唯阿が迅の提案に別の観点を加える、万が一の場合に備えるなどの描写があれば良かったのですが、そういったこともなく、彼女はただ復活したアークにボコボコにされて入院する羽目になります。
あげくの果てに「驚異的な戦闘能力だった……。きっと大変なことになる……」と言って、アークを復活させた罪の意識からか泣き出してしまうという有様です。
唯阿の成長や男性支配下から脱する物語を描きたいのであれば、行動理由にわざわざ男性の影を落とす必要はないと思います。
確かに第9話では同じ女性キャラクターのイズの言葉を信じ、飛電に協力する姿勢が描かれていましたが、以降、イズが行動のきっかけとなる描写はありません。
もしスタッフが、男性支配下から脱する女性の物語を書くつもりがなかったのであれば、何のために唯阿がZAIAに従い続ける描写があったのでしょうか。
仮にブラック企業から抜け出す物語にしたかっただけなのであれば、それこそヒューマギアにその役割を振って、自我の目覚めと人間と同等の権利に関する描写をすれば、面白くなったかも知れません。
人間がブラック企業から抜け出す物語だったとしても、もっと早くそれを描いて彼女の活躍を増やすとか、やり方はいくらでもあったはずです。
ZAIAから離反した唯阿があまり活躍しないばかりか、ラスボスを誕生させた挙げ句、そいつにボコボコにされて泣き出すという展開は、あまりにも酷です。
これではスタッフが唯阿という登場人物を馬鹿にしていると視聴者に捉えられても、仕方がないのではないでしょうか。
劇中の事件の黒幕である悪人、天津垓が主人公の仲間になったこと
ゼロワンがつまらなくなった最大の要素だと私が思うのが、物語の黒幕である天津垓を主人公の仲間にしてしまったことです。
もともと天津は何らかの理由でヒューマギアを嫌っており、自社が展開する兵器ビジネスのためにヒューマギアによる人間の大量虐殺を仕組んだ邪悪として描かれていました。
さらに飛電インテリジェンスの社会的評判を下げるために、自らが人間の悪意だけを学習させたAI搭載の衛星・アークにヒューマギアをハッキングさせ、テロリストに仕立ててもいました。
その過程で天津は不破や唯阿の脳内にAIチップを埋め込み、彼らの記憶や思考を操作して都合の良い道具として利用するという非道なことも平然と行っています。
ここまで見ると天津は、「主人公達に倒されるべき極悪人」だと思えます。
誰がどう見てもそうとしか思えないと言えるでしょうが、スタッフが用意していた展開は大多数の視聴者の予想の斜め上を行くものでした。
何と、スタッフは天津を主人公の仲間にしてしまったのです。
しかもその仲間化に至るまでの過程は、たった1話中で伏線も何もなく唐突に描かれました。
それによると、天津は親から虐待を受けて1人で全てを抱え込む人間になってしまったというものでしたが、それは彼のこれまでの悪行には一切繋がらないものでした。
天津が大量虐殺を仕組んだことも、ヒューマギアのテロリスト集団を作ったことも、人間を道具として利用していたことも、彼の過去描写はその理由足り得なかったのです。
しかも、子供の頃に交流していたAIロボット犬と似た形の個体を勝手に作られて感動し、涙を流すというお涙頂戴シーンもありました。
さらに或人をラスボスのアークゼロ(アークが仮面ライダー化したもの)から庇った天津は、「さぁ、アークを倒すぞ!」と威勢の良いことを言いました。
自らがかつてアークを悪意あるAIに仕立てたことを棚に上げて、です。
今まで主人公達が「ZAIAをぶっ潰す!」と言ってきたのは何だったのでしょうか。
もしスタッフが、このような展開を「敵が仲間になるんだ! 盛り上がる展開だろう!」と思っているのであれば、それはとんでもない勘違いです。
こんな展開が許されるのであれば、それはある意味のニヒリズムに近い、倫理観が欠如した話と言え、とても子供や多くの視聴者へと届ける作品ではありません。
仮に新型コロナウイルスの流行によって内容を変え、「人間皆が協力して、未知の敵を倒すんだぁ!」という展開にしたのであれば、非常にズレています。
ビジネスのために多くの人命や人の人生を弄んできた男が唐突に、意味不明な展開で味方になったところで説得力などありません。
そもそも今回の新型コロナウイルスの流行とそれによる大衆の俗情を、日本の橋下徹やアメリカのドナルド・トランプなどの悪意に満ちた人々が利用していることを、スタッフは知らないのでしょうか。
天津は人間の悪意を散々利用してきた人物ですので、「新型コロナウイルスの流行に合わせて味方にした」のであれば、こんなグロテスクな展開は他にありません。
一応、仲間化する前に天津が何度も主人公達からボコボコにされ、服を切られてパンツ一丁になるという場面がありましたが、だから何だというのでしょうか。
お笑いのネタのような場面があれば、「仲間になったとしても視聴者は納得するだろう」と思っているのであれば、それは視聴者を馬鹿にしていると言えるでしょう。
物語のリアリティ欠如
最後に挙げられるのは、『仮面ライダーゼロワン』の物語のリアリティ欠如です。
もともと『仮面ライダーゼロワン』の物語は、“人間とAIの共存”をテーマとしていたので、それを描くために劇中の描写にはリアリティが追求されていました。
例えば第2話では、ヒューマギアの暴走によって飛電インテリジェンスの社会的信用が揺らいだことで、或人がマスコミから問い詰められる場面がありました。
この時、飛電側は記者会見を開いており、そこで新社長の或人がイズのカメラアイによって捉えられた敵の構成員を映し出し、暴走の元凶が滅亡迅雷.netというテロリストだと明らかにしたのです。
また、他の回でも飛電の不祥事を伝えるニュース映像や、暴走するヒューマギアについて報道する番組、始まりの出来事・「デイブレイク」の新事実についての報道など、一連の事態に対する社会の反応を描こうとする試みが見られました。
さらに様々な仕事に従事する人型AIの自我への目覚めと、それに対する人々の反応も描かれており、視聴者に“AIが広く普及した社会”を見せようという試みも感じられました。
しかしこのリアリティを追求する姿勢は、第2部のお仕事5番勝負編から一気に失われていったのです。
例えば、先述の天津の“司法をも歯牙に掛けぬ振る舞い”や、彼の悪行を警察に訴えているとは思えない或人達の描写、暴走を受けてヒューマギアを回収しても、何故か再び出荷する飛電などです。
他にも、天津が民間人用の対ヒューマギア兵器としてレイドライザーを販売しようとする、それを自社製品の暴走案件にも対応させようとするなども、リアリティの欠けた描写に該当します。
そもそもお仕事5番勝負自体が、ヒューマギアと人間の思考速度をアップさせるZAIAスペックを付けた人との対決ですが、これら製品は需要の層が大きく違います。
例え天津が“ZAIA製品を宣伝するため”にお仕事5番勝負を仕掛けたとしても、それに誰も疑問を呈さないのも不自然です。
特に或人の秘書であるイズは社長秘書AIですので、その点を不自然に思って或人に進言をする描写がないのは変です。
仮に“買収を避けるにはこれしかない”と或人が返すだけだったとしても、イズが進言をする場面があれば、視聴者にお仕事勝負の意味を説明することにも繋げられます。
さらに、飛電の動向に関する報道や社会の反応などに関する描写も失くなっていったので、視聴者は社会がヒューマギアをどう捉えているかの流れを掴めませんでした。
初期に描かれていた、“AIが広く普及した社会”を視聴者に実感させるための取り組みはどこへ行ったのでしょうか。
また、物語後半では天津が変身する仮面ライダーサウザーの戦力不足が顕著になりますが、それを見越して彼が対策を講じていないのも不自然です。
普通であれば戦力アップとか基本的なスペック底上げなど、何らかの対策をしてもおかしくないのに何もせず、天津は或人達に負け続けていました。
他にも最新式AIを搭載した迅が旧式AIであるアークの戦力アップを予想できない、アークに憑依されて利用されるといった不自然な展開もありました。
これでは何のために迅が新世代型のヒューマギアとして復活・進化したのかが分かりません。
迅を復活させた人物は判明しましたが、こんなミイラ取りがミイラになるような有様では復活させた者もきっと残念に思ったことでしょう。
このように『仮面ライダーゼロワン』では、初期に描かれていたリアリティのある世界観が話の進行に伴って崩壊していったのです。
仮面ライダーゼロワンはどんな物語を編めば良かったのか
今まで指摘した点を踏まえ、ここからは『仮面ライダーゼロワン』をどのように展開していけば良かったかについて、個人的な考えを書いていきます。
あくまで個人的な思いでしかないので、“必ずこうでなければならなかった”というわけではありませんのでご了承ください。
今回は本編の転換期とも言える、第2部以降についてどうやって描けば良かったかを詳しく掘り下げ、それ以外は簡単に触れるだけに留めておきます。
お仕事5番勝負ではなく、競合へ向けた宣伝対決を短期間で描く
製作プロデューサー、大森敬仁氏の意向では、『仮面ライダーゼロワン』で“お仕事の紹介をする”というものがあったそうです。
仮にその意向を汲んだとしても、作品の世界観設定や描写に不備が生じてしまえば問題だと言えます。
お仕事5番勝負は飛電とZAIA製品の需要の違いが問題でしたので、この点を解決してやれば、仕事紹介をしつつ無理なくAIの問題も描けるのではないでしょうか。
例えば天津が、劇中の5週間限定でお互いのAI製品を宣伝する番組をテレビ局に持ちかけます。
飛電は“数の必要な職業や危険を伴う仕事に従事する人”へヒューマギアの特色を伝え、ZAIAは“芸術などの創造性が問われる分野で活躍する人”へZAIAスペックを宣伝。
お互いの宣伝を見て“どちらを買いたいと思ったか”を大衆に問い、テレビ投票の得票数で勝敗を決する、AI宣伝対決を行うという展開もありだったはずです。
これならば“どちらの社長がマーケッターとして技能があるか”を問うことになるので、需要の層や市場の動向などを読む力が必要になり、或人の社長としての成長も描けます。
また、AIの自我についても、“ヒューマギアが人間に悪意を向けられたら暴走する”のではなく、“自我に目覚めて感情豊かになるからこそ、中には怒りを抱くAIも居る”と描けば、まだ感情移入がしやすかったはずです。
これならば、“ヒューマギアが自我に目覚めるからこそ、彼らと友達になれる”ということも描けますし、それによって発生する問題という物事の二面性を描けます。
もちろんこの場合だと、ヒューマギアは自我に目覚める前だとターミネーターのT-800のように無感情な存在として描く必要があります。
さらにAIに雇用を奪われる人の話を描きたい場合は、天津のテレビ宣伝に協力した人が「AIに仕事が奪われないことを証明したい」という理由で、買収関係なしにヒューマギアと直接勝負をする舞台を用意し、そこで描けば済みます。
これなら劇中で1~2回程度の勝負をするだけで、AIに雇用を奪われる人の凶行と、AIと人間の対立から和解の全てを描けます。
また、天津の自社製品宣伝についても、例えば最初は正体不明の仮面ライダーとしてサウザーを登場させ、マスコミに暴走AIに対抗するヒーローとして取り挙げさせるなどすれば、可能です。
その後に或人達と視聴者に正体が分かり、そこで初めてアークが悪意ある存在になるよう学習させたと明かせば、彼が“偽りのヒーロー”に過ぎないと描けます。
そうすると、世間の誤解を受けながらも真実と人々のために戦う仮面ライダーとしてゼロワンを位置づけられるので、物語的な盛り上がりも描けるでしょう。
このように発想次第ではお仕事紹介をしつつ、いくらでも面白い長編ができたと思うのですが、実際はそうではなかったので残念です。
その他、『仮面ライダーゼロワン』の改善ポイント
- 飛電或人の努力や技術研鑽、AIの自我についての葛藤を描く
- 刃唯阿をZAIAに居ながらも主人公達に協力的な、毅然さと優しさがある強い女性として描く
- 天津垓を当初からラスボスと設定し、それに相応しい描写をする
- リアリティを重視し、自我のあるAIが社会に認められる過程を丹念に描く
まとめ
私は『仮面ライダーゼロワン』が始まった2019年の9月、“新しい仮面ライダーがAIを取り挙げている”と知って興味を抱きました。
基本的に私は仮面ライダーシリーズはあまり観ていないのですが、今作のテーマと初期の展開に惹かれて視聴を始めたのです。
実際、本編を観ていて「これは名作になるのではないか?」と思い、「こんな良い作品を1年間も観られることが嬉しい」と思ったほどでした。
ところが、第2部以降から展開に疑問を抱くようになりました。
しかしそれでも他ブログの解釈を踏まえて展開を自分なりに咀嚼し、劇中の意欲的なテーマなどに「まだ面白さは残っている」と思って観ていました。
第3部以降は“天津が何度も倒されるだけ”、“ご都合主義が見受けられる”という点はありながらも、「初期の面白さに戻りつつあるか?」と感じてはいました。
しかし新型コロナウイルスの流行による放送一時中断後、再開された本編の内容を観て失望しました。
今までの話とは一切繋がらない描写が頻出し、これまでの話を全て無に帰すような展開がそこにはあったのです。
この展開のおかしさには、新型コロナウイルスによる撮影上の制限は一切関係がないと考えられます。
何故なら感染予防と一切関係がない、“登場人物描写や今までの展開の根幹に関わる部分”が異常なものになっていたからです。
前回の記事を読み、その内容を支持していただいた方には予想外だったかも知れませんが、本記事の内容が今の私の『仮面ライダーゼロワン』に対する感想です。
続編として映画版、Vシネマ版が世に出ましたが、この作品は心に残るものになっているのでしょうか。